占いに対する偏見、一般的見解

「はじめに運命ありき」

これを理解できない合理主義者は、

運命の落とし穴に落ちる。

運命には、人生には変えられない大きな運気と避けられない宿命があるが、

運の運び方で、人生も変わってくる。「運の法則を読む」)

 

 占いに対する偏見、一般的見解

1、「何々が当たる」

「何々が流行している」など

(99%の一般大衆)

 

2、統計でしょう!と軽くいなす!

(自称、物知り、単なる浅学の者

なんとなく運命というものがある、

という概念的理解もできない人、

物事を理屈だけで考える人は、が悪い

という大学での研究があります。

 

3、恐れるだけの逃避(女性)

逃れるチャンスを失います!


4、都合のよいものだけを信じ

良い結果が出るまでカードで占う女性。最初の答えが正解。

 

5、自分のほしい答えを求めて、占いをハシゴする⇒(別記)


6、開運も学習もす
べて金で解決しようとする
自己努力も、勉強もしない人。

 

7、幻想の世界に依存する占い依存症

努力しないで運のみに頼る特に女性)

 

8、常に迷う(女性)

 

9、非科学的と、知識もなく批判する

(知識に偏りのある者)

「量子力学」が運命の研究をしています。

科学的でないという者がいますが、学者でも、科学的とは何か?

は、言えないといっています。

「科学的とは何か」)

 

マスコミの人は、ネイチャー、サイエンスに出ているからどうだ、

という話を するが、それらに出ているものの9割はうそ。

残りの10%も、ほとんど当てにならない。

 

(ノーベル賞受賞:本庶佑教授)

科学万能論の人へ☞科学論文は信用できるか?

  

フランスや米国では、面接試験に

「顔相」が重視されています。

信じられなくても事実です。

(「顔相の科学」)

日本では非科学的とみられています、

つまり、日本は偏見にとらわれているという事です。

仕事の相談に乗るキャリヤーコンサルタント(国家資格)は、何の関心も

もちません。

 

占いは、科学より歴史が古く人文科学、文化人類学、比較文明論、哲学、

心理学など、あらゆる分野で構成されています。

 
10、全く信じない(狭量、がんこ者

 

11、全く無関心(かわいそうな人)

 

12、人間が作ったものだから、

「当たらなくてもいいではないか」という人は、何もかも一緒にして、

占いなんだからという探究心の浅い人。

 

13占いの知識が少しあると、さも占いの世界を知ってると錯覚して、

やたらと自分の狭い感覚のみで評論する。自分が素人だという自覚のない者。

以上、全て、間違いです。

 

信じなくても恐れても、その時は、必ずやってきます、それを早く知る事が

賢明です。

 

恐れたり避ける人は、潜在的に問題が表面化するのを避けている臆病

人です。

 

当たるも八卦当たらぬも八卦」を

当たらないものと言う解釈に使う人がいますが、最新の量子コンピューターでは、1かゼロかでなく、両方あるという使い方をします。

 

占いも、占法や、占い師によりますが、悪いのは良いの裏返し、良いも同じく、

悪いのが出たから占いは、あてにならないとか嫌いだという解釈は誤りです。

本来は、当たっても当たらなくとも気にするなという意味に使われています、

  

悪いのが出た時に占い師が、どのように方向付けるかが腕の見せ所です。

「天気の良い日に何々の方向に行きなさい」というのは、通俗易です。

 

正しい占いなら少なくとも、

天気予報や、医者の診断くらいは、当たります。

 

天気予報や医者の診断は外れても科学的だからいいですか?

 

科学的根拠、実証のこと「エビデンス」と言いますが、

医学の世界で実証された新薬が効かない、しかし

エビデンスはなくとも漢方は効く!

この違いです。

 

1回文化勲章受章者で、明治・大正・昭和を駆け抜けた、文学者の幸田露伴(こうだろはん)は、「運命を切り開くもの」という随筆で、「運命懐疑

(かいぎ)論者」に対しては、

「誰でも自分が時をえらび、処をえらび、自分の体質、顔かたち容貌等を選んで生まれたのではないという事に思い当つたならば、自然に、

運命の少なくとも半分は、真理であるということを思うでしょう」

 

「運命が無いなぞという事は、うぬぼれの強い人でも云ひ得ない事でしょう」と厳しく断じ、運命・天命は現に存在することを強調しています。

 反面、極端な「運命論者」に対しては

「運命前定説から生れる運命測知術、即ちいろいろの占卜(せんぼく)の7術などを神聖のものの様に思つては、人間たるものの希望即ち向上心という

高いものを蹂躙(じゅうりん)する卑屈の思想に墜ちて終ひまして

甚だ宜しくない、即ちそれは現在相違という過失に陥ります」と。

(わかりやすく現代文に書き換えています)

 

占いでは、絶対予測できないと、狭い自分の経験、知識内で主張する人がいますが、Kさんの近親者が亡くなることを予測し、的中させました。

Fさんは10月頃から母親を介護することになると予測し的中させました。

 周辺の人が自殺したというので「首つり」でしょうと、的中させました。

こんなことは、日常茶飯事です。

 

サンフレッチェの優秀も的中させました。

これ等は別に自慢でもなく、普通のことです。

高円寺典子さんの結婚問題も婚約時から予言しています。

眞子、圭さんの件も、

 

占いの関係者の中に占いは「統計」によるものと説明する人が

沢山いますが、占いは独自の理論と個人の 経験で構成されており、

 統計や統計学、科学としての研究からは歴史的にも由来してはおらず、

まったく異なるものです。

 

人々が統計というのは「経験則」であって、学ではありません。

 

統計学なら数学的検証が必要です。

統計学は、占星術が生まれた後、

100年後くらいに緒についたばかりの学問です。

年月日で占う方法は、天文観測、数学、経験則、数字の霊性です。

 

→「占いの偏見を正す②」