占い師になるまでの はらたかしの人生遍歴
私が占い師になれた理由!
しわくちゃの名刺がもたらした、師匠との出会い
◆占い師に興味を持った第一歩
中学時代に、叔母が連れてきた占い師が、私が占いに初めて接した時、
占いに興味を持った第一歩です。
その時、聞いた「自分を大切に」のアドバイスは印象に残っています。
◆外国出張のきっかけ
仕事をしてた時出張先でテレビに出ているという手相師に
「故郷を離れて仕事をするとよい」というアドバイスしてもらったことは、
後で非常に役に立ち外国で仕事をするきっかけになりました。
あとの2人の手相の判定は、私の性格の特徴、興味の範囲が広くて、絞り切れないという事。今は長所として生かしています。
◆改名で得た幸運
前述の占い師に改名してもらい、正式な裁判手続をして現在の本名で必ず運を開こうと思い努力しました。
後に自分では、まったく想像もつかない、チャンスをものにすることが出来ました。
◆高島易団の判定
仕事に就く前に大金を出して高島易断(本物かどうかは?)に墨で書いたものを貰った事があります。
将来は、レストラン経営に向いているという、
逆立ちしても当たってない事が書かれていましたが、
自分流に解釈して、安定収入を得るようにという意味ではないかと解釈、20代でアパートを建てました。
この点では非常に役に立ちました。
つまりは、活かし方ですが、
◆家族環境
この当時、住んでいた家は戦時中爆弾の爆風にやられボロボロになった雨漏りのひどい借家でしたので、住む家より先にアパートを先行させました。
私は、父親が40代で産んだ子なので、母親が亡くなった21歳の時、父はすでに60代、老いた父親を経済的に支えなければいけない立場でした。
◆最初就職した会社
私が最初就職した会社は、技術系で3K(きつい、汚い、危険)職場でしたが、私は、全く意に介せず、同窓生が楽できれいな仕事をしている事になんの引け目もなく自分の道を黙々と歩みました。
◆「秀吉の草履とり」
その当時の考え方の基盤は「秀吉の草履とり」
これが、正解だと明確になったのは、何10年か後です。
◆私の描いた道
「どん底から這い上がる」というシナリオで、あえて過酷な道を選びました。
この考え方は、高校時代に読んだ本の影響です。
友達のお母さんが私のイメージと違うと言っていましたが、私の心の中は前途悠々の気持ちでした。
◆占いに興味を持ったきっかけ
私は、仕事ではよく頑張りましたが、なかなか評価されず、悩んだ時には運命を勉強する習慣がありました。
占いを勉強して分かったこと。
◆自分の運命を知る
私は、直接評価されにくいが、組織の上層部や、他社から評価される、または、いなくなってから存在感が増す、という事でした。
まさにその通りでした。
これが不幸というか、モチベーションになりました。
もう一つは、20代は、苦労する時期、30代で評価されないのは、努力が足りないということの確信がのちに判明しました。
◆突然会社を辞める。
当初の会社に、技術的にも人間関係でも行き詰まり、
突然飛び出して、まったく分野の違う外資系の「泣く子も黙る」過酷で固定給なしの、収入が不安定な営業の世界に飛び込みました。
30代なら一からやり直せると思い決断したことです。
この状況は、タロットで表すと、
◆「塔から人が落ちる」の状態
技術の世界では人を意識することなくできる職種でしたが、営業は、他人相手に契約を取る仕事、来る日も来る日も断られるのが当たり前の世界でした。
車の後ろに営業の本を積み込み、毎晩夜遅くまで仕事をしていました。
◆人生の大変革
努力がみのり、数か月でセールストレーナーに昇格、収入は安定しました。
この決断がなかったら今の自分は、ありませんでした。
この時期の経験、知識が次の大きなきっかけを作りました。
半年後に以前の会社時代に知り合ってた会社に就職、会社の役員にもなれて、半年後には、営業コンサルタントの仕事を得るチャンスがきました。
◆困った時、占いに頼る
この会社の役員をしている時に資金繰りに困り百貨店横の女性の占い師に診てもらうと「助けてくれる人が現れる」といわれ、翌日その通りになり助かったことがありますが、翌日、その占い師が所属してるところに会いに行くと不在で、そこにいる占い師には、ぼろくそに言われました。
◆会社を追い出される
ある時、私が貢献し役員になっていた会社に用済みとして突然追い出されました。(後でそうだったのかと分かったことです)
◆「人間万事塞翁が馬」
この事がなかったら占いの師匠との関係はないまま、のちに占い師にもなっていなかったでしょう。
何がプラスになるかわかりません。
不幸中の幸いでした。
◆占いの師匠との出会い
追い出された私を拾ってくれたのは、私がコンサルティングで貢献した会社でした。
社長室勤務の時に、社長から「占い師を紹介するように」と言われたのが、
師匠と再会するきっかけです。
◆占いの勉強を始める
占い師に習うようになったきっかけは、
以前もらって、財布の中に入れていた、しわくちゃになった、占い師の名刺が、後に占いを勉強をする貴重なチャンスになりました。
ある時、これだと思う占い師に偶然出会い、
後に「良く当たる」とネットで評判になった、その占い師に師事し退社後に
毎日通い夜12時ころまで口伝で1年間勉強しました。
こういうチャンスは、なかなか得られるものではありません。
占い師と相性があった事が偶然を生みました。
当初占いは独学で勉強していましたが、わからないところがありました。
私の師匠になる人と出会う前までは占いの勉強に行き詰まっていて、
こんな合理的な方法があるのだということを、即、感じました。
この占法が役に立つと判断したのは直感です。
有名、無名は関係ありません。自分が、よいと思った事を追求すればよいのです。
雑誌に出ていた、横浜の占星術師の所に行った時は、まったく何も役に立つ事はありませんでした。
権威性や流行に依存すると間違います、自己判断力を養う事が大事です。
私が、勉強した占いの種類は..
手相、奇門遁甲、星占い、方位学、気学、九星、姓名判断、家相、タロット、
易、観相、四柱推命、密教占術、数秘術、数命術、占数学、占数術、マヤ歴、
神社の祈祷や、お守り、霊感師に頼った事もあります。
私が、最初占い師として売り出した時、占いに関しても分野が多岐にわたり、
どうすべきか悩み、当初は「占いと心理の研究家」という名目で売り出しました。
当初は、全国規模のカルチャー教室で教えていましたが、ある日、突然、生徒が来なくなりゼロになりました。
グループでまとまって入会してきた連中なので、やめる時もまとまって辞めました、理由は、あまり理論的過ぎたからだと思います。
それから2年間、生徒が来ないので教材の充実に努力しました。
それから2年後、以前の生徒たちが、また復帰してきたのでそれからは波がありましたが、順調に推移しています。
この2年間は、現在の基礎を作る貴重な時間でした。
教室には、いろんな占い師が教えに来ますが、長続きしません。
私は指導歴15年以上になりますが、長期に継続することは、むつかしいことです。
退職後、占い師になる前に経営コンサルタントを20年間しましたが、
私が最初に選んだ道は、10年後に思いもかけぬ経営コンサルタントのチャンスとして花開きました。
私を知るだれも予測しえなかったことです。
なぜなら、全く畑(専門)違いだったからです。
その前に最初の仕事で感じたのが「社員教育」の必要性です。
幸いこの課題に関して会社が勉強の機会を与えてくれたので、のちにコンサルタント会社に入って何も教えてくれなくとも困りませんでした。
また、コンサルタントになったきっかけになったのは、教材提供会社が、私の能力を見出して拾ってくれたことです。
先の営業経験が役に立ち、短期に次のチャンスに巡り合えました。
コンサルタント会社にいる時、急に外国の仕事が来た時、昔、手相を見てもらった時に言われたことを思い出し、「これだ!」と思い、中身を聞かず、即OKしました。
東京、大阪の営業所でで受ける者がいなくて私に声がかかってきた仕事でした。
これが外国での仕事を8年間するきっかけになりました。
ただ、現地に行っても、どうすればよいかしばらくわかりませんでしたが、
気後れせず、まったく未経験の分野で、成果を上げ社内表彰を受けました。
成功の秘訣は、たくさん積み上げてきた中身を持っていたからと、他分野に対する違和感のないことです。
過去の仕事で、コンサルタントも含め先輩や上司から何かを指導されたという経験がなく、自力で解決してきたからです。
と簡単に書いていますが、外国の仕事は、2人でやらなければいけないというコンサルタント会社の規定がありましたが、もう一人名目上の先輩が、コンサルタントを使う経験豊富な契約先の会社に1回の仕事で見放され、私一人で、高額の(1年間、日本円で1億円以上)の仕事をこなしました。
契約は、1日6時間でしたが、私は倍の12時間しました。
この時の苦労は映画になると通訳が言っていました。
最終段階では、この地域の勲章をもらえるようにするからと言われましたが、体を優先し辞退しました。
20年間の経営コンサルタントの活動の中で占いを活用し成果をあげました。
この占いの師匠に習って、以降30年間の検証期間を置いて、この手法の普及
活動を開始、占い研究は通算45年になります。
鑑定所の仕事をする前に占い学校の館長にタロットで観てもらった時に、将来の光が見えるといいましたが、抽象的でした。将来とは、いつかが問題です。
光が見えたのは、それから5年後です。(タロットでは予測はできません)
この人は、ただの素人ということが後で判明しました。
占いを勉強していくと、思い当たることが日々あり、自分も人を見る目もよくわかってきます。
私が占い師になったのは、子供の頃から人の行動を観察していて人の行動に
興味を持ったのと、会社に入ってからは、人と、組織を観察して、その心理的な側面に興味があり、勉強してコンサルタントになり、組織を改革することと、営業指導をして、個人を動機づけることでも評価を得たので、その延長線上で退職して個人に焦点を当てたという事です。
不確かなことを解明するという事にも興味を持っていました。
私は元エンジニア(国家資格)で人との関係は不得意な分野でした。
技術屋から180度転換して営業の世界に、そして、コンサルタントに、そして占い師に、変幻自在の私です。
私を知る人は、その変化ぶりにびっくりしています。
技術の分野は、合理性、論理性で解決できますが、人はその逆の分野ですが、わかりにくいことを、わかるようにすること、心理学の延長線上でもあるところに興味があり、人に喜ばれることは私のやりがいなので、という事でしょうか?まだ表現できていないところもありますが、
運命に興味を持つようになったきっかけは、若いころ努力の割には芽が出てこなくて悩む度に、運命に興味を持った事も非常に関係しています。
あとから、こういう人生だとわかってきました。
占い師の胡散臭いところ、表でなく、裏通り、人生の縮図を見れるというのも興味のあるところです。
これは、故社会評論家の大宅荘一氏の影響もあります。
つまり社会の表面的な事は嘘偽りがあるが裏から見ると本質が見える。
だから、社会的に評価されない占い師に合理性を見つけて、見えない世界を
見えるようにしよう、引退した身ならば世間体を気にする事なくやれるという事です。
それに心理カウンセリングという心理学の延長線上を加味すれば、自分の求めていたことを具現化できると思ったからです。
心理学は、大学などで勉強しなかったことが良かったと思います。
同じ年齢で国立大で心理学を勉強した者は、ある心理関係の団体の理事長を
やっていますが、まったく役に立っていません。
理由は、学ぶ側ばかりにいて自分で体験し、考えないからです。
占い講師として10数年、オリジナルな教材は1,000ページを超えました。
別途、心理関係の教材のみで350ページはあります。
10年間、同じ本1冊で教える講師とは雲泥の差です。
現在、東洋と西洋の占い技術15種を統合、心理分析を加え、心理カウセリング技術に活かす方法を広めるためのページ
人間生きるには何が必要か?
ある程度の人生経験を経た経営者の人生における考え方は
①運命に翻弄される(運命をもて遊ぶ)
②宿命に耐える。
③使命感に生きる。
① ②は占いを知っているか知っていないかで
翻弄されることを防ぐことができますが、一般の人は関心かありません。
人生に必要な3つの要素は?
①知力能力 ②メンタル力 ③体力
これらが分かった頃にはもう人生は終盤です。
学歴一辺倒の人にはこういう事は分かりません。
私の場合、今は使命感で生きています。
医者やベテランの看護師が一生治らないといった病気に対応する目的の体質改善のため酒は、やめ、病気は克服できました。
酒がなくて何が人生の楽しみか!とも思いましたが別に何とも思っていませんし
酒も欲しいと思わなくなりました。
趣味を楽しむ時間、その他一切の楽しみはありません、
仕事一筋、私の占いの技術を伝承することのみで生きています、オーバーじゃなくて。
達観しないとこんなことは書けません。
以上、全て事実で、なんの誇張もありません。